一年間のうちで、これほどドキドキする日があるだろうか。
どうせ僕には関係ないよ、と思いながらも、ひょっとしたら気がついていないだけで、僕のことを密かに思ってくれている女の子がいて、勇気を出して僕にチョコレートを渡そうと一年中この日を待ち詫びていたりするんじゃないだろうか、という気もしてきて、「頑張れ! 勇気を出すんだ、女の子!」とまだ見ぬその娘に心の中で声援を送ったりしてしまう僕がいたりするのだった。
でも、わかっているさ。
どうせ、今年もたいした成果もなく、二月十四日は十三日の次の日で十五日の前の日というごくありふれた一日として過ぎ去ってしまうに違いない。
バレンタインデー……。
ああ、なんて罪作りなイベントなんだ。
「えへへ……、見てみ、これで完璧や」
ひとり物憂げにしている僕の横に駆け寄って来て、品田が大きな紙袋を僕に示してみせた。
いつの世にも馬鹿なやつはいるものだ。貰えもしないのに、そうやって準備だけは人一倍してくる。
でもそれも、裏返せばただ現実を正面から受け止めることを避けようという憐れな抵抗でしかないのかもしれない。
品田よ、おまえもかわいそうな男よのお。
「なんか言うたか?」
「いいや。それより、岡村はどうしたんだ?」
「風邪で休むって言うとったで」
「試合放棄か……。勝ち目のない勝負には臨まない。岡村らしいといえば岡村らしいかもしれないけど……」
「おい、あれ、宝条瞬ちゃうか?」
品田が窓の外を指差した。どういうわけか、いつも宝条を最初に見つけるのは品田だ。ひょっとして宝条ウォッチャー? って気がしてくるほどだ。
宝条は最近はほとんど学校には出て来ていなかった。仕事が忙しいらしい。
僕の頭の中には、CDグランプリで瀬戸綾乃が新人賞を受賞したときに祝福するためにステージにのぼった宝条の姿が浮かんだ。
宝条の姿を見るのは、あの日以来だった。
あんまり見たくない気分だったが、品田が窓の外を睨みつけるようにして、ギリギリと歯を噛みしめているので、つい気になって覗いてみると、宝条は中庭で女子生徒たちに囲まれていた。
「……チョ、チョコレート責めや」
品田の声は怒りに震えていた。
「な、なんてやつや、こんな日にだけ登校してきやがって……。ああ、あのチョコレートはホンマやったら、わいのこの紙袋に収まるはずやったのに……」
そう言って、品田は手にした空っぽの紙袋をクシャクシャにしてしまった。
宝条が登校して来なくても、品田の紙袋がいっぱいになることはなかっただろうけど、もちろん、そんなことは言わない。
そう思うことで品田が救われるなら、そう思わせておいてやろうではないか。なんだかんだ言ったって、僕たちは長い付き合いなのだから。
僕たちのようなかわいそうな男の子の存在を知ってか知らずか、宝条はいかにも迷惑そうにチョコレートを受け取っていた。なんだか、腹が立つ。
宝条と綾乃はいま、放映中のテレビ番組で共演していた。宝条が忙しいということは綾乃も忙しいということで、綾乃も最近は学校を休みがちだった。
早朝や休日に特別授業を受けているという岡村情報もあったが、詳しいことはわからない。
でも、宝条は撮影現場で、綾乃と毎日会っているんだろう。今日もこのあとロケに行き、綾乃からチョコレートを貰うんだろうか。
そして、僕はそんなふたりが共演したドラマを自分の部屋で観る。そんなことを考えると、なんだかやりきれない気分になってしまう。
「はい、これ」
僕の机の上に、いきなり小さな箱が置かれた。
驚いて顔をあげると、そこには桜井美奈子が少し恥ずかしそうにしながら僕を見下ろしていた。
「お世話になってるから」
美奈子は言い訳みたいにそう言った。
義理だ、ということだ。義理でも結構、もらえるだけうれしい。
どうだ、うらやましいだろ、と品田に視線を向けると、品田もちょうど美奈子から同じ箱を受け取って、うれしそうに表情を弛緩させているところだった。
「ありがとう。美奈子ちゃん、これからも世話するで」
品田も「お世話になってるから」と言われたのだろう。
それも、まあ、しょうがない。だいたい僕たちはいつも一緒にお世話したり、お世話されたりしているんだから。
で、予想通り、僕がもらったチョコレートはこれ一個だけだった。
綾乃や唯香が登校していれば、あと義理チョコがふたつばかし増えた可能性もあるが、歴史に「もし」はないのである。
あるのは、たった一個の義理チョコだけだ。
そして、明光学園での僕の一年間は静かに終わりを遂げていったのだった。次はすぐに二年目が始まるけど……。
来年こそは、頑張ろう。何を? う~ん。その頑張れるものを探すのを頑張ろうではないか。
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